貿易ともだち
2024-03-19T00:02:03+09:00
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『マーケティング:「歴史を紐解く」』ー③
http://gewerbe.exblog.jp/242114196/
2024-03-19T00:02:00+09:00
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2024-03-19T00:02:03+09:00
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『マーケティング:「歴史を紐解く」』ー③
実は旧日本海軍では「香水』を愛用するものが多かった...その以外なワケ
~(前号)からの継続アップ~
のちに海軍有数の「撃墜王」となる杉田庄一はまだ18歳の少年だったが、その闘志は比類なく、この出来事の約1か月前には「難攻不落」といわれた米陸軍の大型爆撃機ボーイングBー17を空中衝突で撃墜したことがある(のち上飛曹。昭和20年4月15日戦死)、戦死後少尉。その時杉田の四番機が、先に長田利平と一緒に香水を買った田村恒春だった)。
玉井も小福田も、毎日、命をすり減らしながら戦う最前線で、部下の手綱を引き締めるべきところと緩めるべきところのツボを押さえていたということなのだろう。玉井はのちに長田利平も属する特攻部隊の司令となり、歴史に悪い意味で名を刻んでしまうが、この頃はまだ、部下思いの人間味のある上官として慕われていた。
もとより、髪型は操縦技量には全く関係ない。小福田は「髪型がどうだろうと、いざというときに働いてくれればいい」という主義だった。
当時の海軍では、少佐の飛行隊長ともなれば大きな作戦のときに総指揮官として出撃することはあっても、小規模な作戦や、ふだん空襲があったときの邀撃作戦などでは飛ばないのがふつうである。だが小福田は、どんなときにも率先して飛んだ。
この頃の小福田に、こんなエピソードがある。
ある日、小福田がブイン基地指揮所で他の士官とトランプ(海軍では麻雀は禁止されていたが、ポーカー、ブリッジなどは推奨されていた)に興じていると、見張り員が「敵襲!」と叫んだ。小福田は、近くでたまたまエンジンのかかっていた零銭に飛び乗ると颯爽と離陸していった。整備員が何か叫んだようだが、耳に入らなかった。敵機は初めて見るロッキードP-38が2機。双頭の姿が異様で、まるで凧が飛んでいるかのように見える。間合いを詰めて敵機を照準器に捉え、左手のスロットルレバーについている機銃の発射把柄をぐっと握ったが弾丸が出ない。いったんかわして2度目の発射把柄を握ったがこれも駄目。そのうち敵機は4機に増え、不利とみた小福田は雲の中に避退した。着陸して整備員を読んで質すと、この飛行機はエンジンの積み替えを済ませて試運転中で、機銃はまだ整備していなかったのこと。
「だから発進されるときに申し上げたのですが...」との答えに、小福田は怒るに怒れなかったという。
小福田は、ラバウル在任中(昭和17年8月31日~18年3月6日)の約半年間の間に、直属の部下90名のうち40名を失った。内地に帰還し、横須賀海軍航空隊教官、厚木海軍航空隊飛行隊長を経て、空義技廠飛行実験部員(テストパイロット)となった小福田は、南方での体験をありのままに纏め、『戦訓による戦闘機用法の研究』と題して上層部に提出。
その中には、〈二号ゼロ戦(三二型)は特に高速時操作軽快なる為空戦上極めて有利なり〉の一文とともに、〈戦闘機といえども、将来機に対しては防御を考慮するを要す〉との切実な言葉があった。零銭の主翼の燃料タンクに自動消火装置が装備されたのは昭和19年(1944)年半ばのこと。防弾ガラスや防弾鋼板も新型機に順次、装備されるようになる、だがその頃にはすでに戦いの勝敗の決し、敗戦は時間の問題となっていた。
小福田は戦後、航空自衛隊に入り空将まで昇進。退官後は白洲次郎の住居『武相荘』にほど近い町田氏に暮らし、平成7(1995)年7月29日に亡くなった。享年86歳。同じ町内には元ゼロ戦搭乗員が何人か住んでいたが、小福田は思うところがあったのか、誘われても戦友会には顔を出さなかったという。
(記事出典:神立尚紀 氏(ライター)/ 現代ビジネス 2024/03/05)
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『マーケティング:「歴史を紐解く」』ー②
http://gewerbe.exblog.jp/242114194/
2024-03-18T23:59:00+09:00
2024-03-18T23:59:56+09:00
2024-03-18T23:59:56+09:00
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『マーケティング:「歴史を紐解く」』ー②
実は旧日本海軍では「香水』を愛用するものが多かった...その以外なワケ
~(前号)からの継続アップ~
昭和19年の戦闘機搭乗員が店で買えたということは、大戦末期にも香水は生産されていたのだろうか。私が出会った限りでも、出撃のとき飛行帽や飛行服に香水を振りかけていたという人は何人もいたから、よく言えば、日本の歴史の中で連綿と受け継がれた武士としての心構えが、昭和になっても、残っていたものかもしれない(あるいは、実も蓋もない言い方をすれば、飛行服は力士のまわしと同様、貸与中は洗濯しないので、汗臭さを消す用途であったのかもしれない)。
ちなみに長田利平は、香水を買いに行ったのが縁で、その日から田村と2人、ちゃっかり紅屋二階の十二畳間に下宿するようになり、外出するたびにここで寝泊まりした。長田はその後フィリピンに出撃し、昭和20年2月、台湾に後退したところで特攻隊員となるが、4度の爆装出撃で敵艦に遭遇せず奇跡的に生還。神奈川県警の刑事となり、『紅屋』との縁は長く続いたという。
身だしなみ、といえば、太平洋戦争もたけなわの昭和18年(1943)年2月頃にはこんなエピソードもある。少佐になった小福田は、ニューブリテン島ラバウル(現パプアニューギニア)に本拠を置く零戦隊、第ニ〇四海軍航空隊の飛行隊長を務めていた。二〇四空の指令は杉田丑衛(うしえ)大佐、副長兼飛行長は後に特攻部隊である第二〇一、二〇五海軍航空隊の司令を勤める玉井浅一中佐である。
海軍では、士官の長髪はきちんと整えている限り自由だが、下士官兵の長髪は原則として認められていなかった。だが、飛行搭乗員は、不時着時の衝撃をすこしでも緩和するという名目で、よほど分からず屋の上官が部隊に居ない限り、下士官兵であっても髪を伸ばすことはある程度黙認されていて、七三に分けている者も少なくなかった。
とはいえ、規則は規則である。二〇四空でも下士官兵は長髪が禁止されていて、大ぴらに伸ばすことができない。しかし、飛行帽を被っていると外からは見えないからと、二〇四空の搭乗員の多くは髪を伸ばしていた。大原飛長(のち飛曹長。1921~2018)の回想によると、多くの搭乗員がやっていたのは、散髪の時に髪の毛を直径1センチぐらい残して刈り、残ったところだけ長く伸ばすという弁髪のような髪型で、この髪を三つ編みしている者もいた。これは芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、いざ地獄に落ちそうになったとき、あわよくばこの世に引き上げてもらおうという縁起担ぎだが、不精を決め込んで全体を長く伸ばしている者もいた。
ある日、玉井中佐が数十名の下士官兵搭乗員を整列させて、指揮台の上から突然、「総員帽子を取れ」と号令した。抜き打ちの頭髪チェックである。髪を伸ばしているのがバレれば怒られる、そう思いながら、搭乗員たちは恐る恐る帽子を取った。弁髪のような頭が並んだ光景はさぞ珍妙に映っただろう。
玉井中佐は搭乗員の頭を見渡すと苦笑いし、なかでも髪をボサボサに伸ばしている杉田飛長に、「あとで俺のところに来い」とだけ命じて、解散させた。杉田が叱られるつもりで、神妙な面持ちで福長室に行ってみると、玉井中佐は、「おい杉田、伸ばすんなら手入れぐらいしておけ」と言い、ポマードを一瓶、渡してくれたという。
「整列のときには小福田隊長も玉井副長の横に立っておられたから当然、わかっておられたはずですが、副長室から出てきた杉田の顔を見てニヤッとされただけでした」と大原は言う。
~以下、(次号)に継続アップ~
(記事出典:神立尚紀 氏(ライター) / 現代ビジネス 2024/03/05)
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『マーケティング:「歴史を紐解く」』
http://gewerbe.exblog.jp/242113622/
2024-03-18T08:44:00+09:00
2024-03-18T09:27:08+09:00
2024-03-18T08:44:39+09:00
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『マーケティング:「歴史を紐解く」』
~実は旧日本海軍では「香水』を愛用する者が多かった...その以外なワケ~
◆小福田 祖が飛行練習生たちへの訓示で語った言葉
「搭乗兵はいつ死ぬかわからぬ。常に身だしなみを整えよ。飛行帽には香水をたっぷりと振りかけておけ。死んだ時、血生臭い匂いや汗臭い臭いを出すのは恥だ。航空加奉はそのためにあるんだ。搭乗員は宵越しの金など持つな!」
これは昭和12年(1937)年6月、小福田 祖(こふくだ みつぐ)中尉(のち中佐、1909~1995)が、練習航空隊である霞が関海軍航空隊の教官として着任早々、飛行練習性たちへの訓示で語った言葉である。
この場で訓示を聞いていた練習生の中に、角田和夫一等航空兵(のち中尉、1918~
2013年)がいる。角田によると、これを聞いた練習生たちは、一斉に「わぁっ」と喜んだと言う。というのは、当時は贅沢を慎み、貯金をすることが国を挙げて奨励されていて、皆、口には出さなくても息のつまるような思いをしていたからである。
小福田の言葉は、昔の武将、例えば源平合戦の「一ノ谷の戦い」で、熊谷直実に討たれた平敦盛が戦いに臨んで薄化粧をしていたとか、大阪夏の陣で大阪方の武将・木村重成が、二度と帰らぬ戦いに出陣する際に兜に香を焚きしめた故事などを思い起こさせ、昭和のサムライであろうと張り切る練習生たちの心の琴線に触れたのだ。
実際、この前年(昭和11年)の海軍航空隊の事故による死者は100名に達していて、「搭乗員はいつ死ぬかわからぬ」という言葉には差し迫った実感があった。
「軍人」と「香水」、一見不似合いにも思えるが、旧日本海軍では、士官から下士官兵に至るまで、香水を愛用する者が多かった。
大戦末期の昭和19(1944)年、横須賀海軍航空隊に赴任した当時18歳の永田敏利平飛長(飛行兵長。のち一飛曹。1925~2019)は、
「上陸(外出)のとき、同期生の田村恒春君と一緒に、最初に行ったのが追兵駅前にあった老舗化粧品店の『椿屋』でした。ここで買った資生堂の香水を、上陸するときは必ず服にひと吹きして出かけたものです。搭乗員はわれわれ下っ端でも一日おきに午後6時から翌朝6時までの上陸が認められていました」と、回想している。
飛行兵長といえば、実戦部隊に配属された戦闘機乗りとしては最下級に近い「兵」の階級で、ここでいう「軍服」は水兵と同じセーラー服である。それでも最初の上陸で香水を買いに行くほど、軍人にとって香水は身近なものだった。
資生堂企業資料館のホームページのよると、資生堂が日本発に香水「花椿」を発売していたのが大正6(1917)年のこと。大正7(1918)年には「梅」「藤」「月見草」など和風の花をモチーフにした香水が作られ、大正9(1920)年頃、「菊」が発売される。昭和になると、昭和6(1931)年に「銀座」、昭和9(1934)年に「セレナーデ」、1936(昭和11)に白薔薇をイメージした「ホワイトローズ」が発売されたという。
長田が買った香水の銘柄は本人にも記憶がなく定かでないが、好みで香りを選べるだけの種類はあったようだ。
~以下、(次号)に継続アップ~
(記事出典:神立尚紀 氏(作家) / 現代ビジネス 2024/03/05)
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『タイの長期滞在で感じた「日本の衰退」』ー⑥
http://gewerbe.exblog.jp/242112942/
2024-03-17T07:23:00+09:00
2024-03-18T08:58:53+09:00
2024-03-17T07:23:53+09:00
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『日本そのものが「ソフト老害」になっている...タイ長期滞在で痛感した「貧乏で老人ばかりの国・日本」の衰退ぶり』ー⑥
~(前号)からの継続アップ~
◆日本は「衰退国家」であることを認めるしかない
現在のタイは相変わらず渋滞だらけで、大気汚染もすさまじい。ぼったくりも時々見かけるし、人々は平気で信号無視する。しかし、バンコクの一部エリアには東京にも匹敵するような高い格を誇るホテルや飲食店も多数存在する。それに加えて、日本よりも若くて柔軟な人々、貪欲に生活を向上させようとする人々も多い。彼らが今後の経済成長を牽引することだろう。
JETROの発表によると、2014年、訪日したタイ人観光客は65万7570人だった。以降、2015年=79万0731人、2016年=90万1525人、2017年=98万7211人、2018年=113万2160人、2019年=131万8977人と右肩上がりで推移した。コロナ騒動したの2020年~2022年はさすがに激減したものの、2023年以降は力強く回復している。
対する日本を見てみると、2019年、タイを訪れた日本人はおよそ180万人でタイの訪日客を上回っている。だが、コロナ明けの2023年には逆転された。「日本語総合情報サイト@タイランド」をうたう「newsclip.be」の2023年7月26日の記事に以下の記載がある......。
〈タイ観光スポーツ省によると、2023年1~6月にタイを訪れた日本人旅行者は32万7041人で、同期間に日本を訪れたタイ人菱光社数49万7700人(日本政府観光局調べ)を下回った。タイ政府観光庁(TAT)によると、半期ベースで訪日タイ人数が訪タイ日本人数を上回るのは初めて。日本人旅行者はかつて、訪タイ外国人数1位の常連だったが、今年1~6月は10位内にも入っていない......〉。
これがすべてを物語っているのではなかろうか...。日本人はもう、日本が衰退国でえあることを認めて、それなりの処世術を身に付けるべきであろう。
一握りの日本人富裕層、そして外国人様にかしずくようにして働き、それにあぶれた者は海外は出稼ぎに行く。そうした未来が予想されることを、子どもたちに伝えなければならない日は、それほど遠くないのかも知れない...。
(記事出典:中川淳一朗 氏(ライター) / PRESIDENT online 2024/03/12)
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『タイの長期滞在で感じた、日本の「衰退」』ー⑤
http://gewerbe.exblog.jp/242112863/
2024-03-17T00:01:00+09:00
2024-03-17T00:01:38+09:00
2024-03-17T00:01:38+09:00
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『日本そのものが「ソフト老害」になっている...タイ長期滞在で痛感した「貧乏で老人ばかりの国・日本」の衰退ぶり』ー⑤
~(前号)からの継続アップ~
◆子どもや若者に冷淡で、高齢者ばかり優遇する日本
最近、日本で話題となった言葉の一つに、放送作家・鈴木おさむ氏の引退に伴って用いられた「ソフト老害」がある。メディアもこの言葉に関連した特集を次々と繰り出しているが、大抵の場合、若者による嘆きが紹介される。言い分の傾向としては「上の人間がやり方を押し付ける」「こちらが提案しても「俺のやり方の方が経験に基づいているから、正しい」と採用されない」あたりが多い。
選挙でも、高齢者が票田として圧倒的なため、候補者は高齢者優遇の公約を並べ、政治家になってからも医療費の2割負担に反対したりする。
一方、票を持たぬ子どもや投票率の低い若者に対しては、あまりにも冷淡だ。コロナの折も政治家は「おじいちゃん・おばあちゃんの命を守るために全国一斉休校」などとやらかした。「子どもや若者は重症化しないでしょ」「若い世代の学びや経験の機会を奪っていいの?」といった声には耳を傾けず、「高齢者の命ガー!」で押し切った。
「子どもの声がうるさい!」と公園は閉鎖され、保育所建設反対運動も発生する。そりゃ2016年、新語・流行語大賞のトップ10に「保育園落ちた、日本死ね」が入るわけだ。こうしたマインドが国全体を覆い尽くし、多数派である中高年が幅を利かせる社会になっている。そんな国が今後、発展するのは難しいだろう...。
~以下、(次号):「日本は『衰退国家』であることを認めるしかない」に継続アップ~
(記事出典:中川淳一朗 氏(ライター)/ PRESIDENT 2024/03/12)
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『タイの長期滞在で感じた日本の「衰退」』ー④
http://gewerbe.exblog.jp/242112678/
2024-03-16T19:09:00+09:00
2024-03-16T19:09:36+09:00
2024-03-16T19:09:36+09:00
Gewerbe
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『日本そのものが「ソフト老害』になっている...タイ長期滞在で痛感した「貧乏で老人ばかりの国・日本」の衰退ぶり』ー④
~(前号)からの継続アップ~
◆コロナワクチン接種に絡んだ規制と、背後にある利権
◆タイで働く幼馴染の話から浮かび上がる日本の硬直性
Grabの件で明確なのは、タイは新しいものを柔軟に取り入れて合理的に取り組もうとするのに対し、日本では業界団体や受益者が合理化に反対したり、時代の変化を受け入れないどころか逆行させたりする場面が多い、ということだ。ハンコなんて、その際たるものだろう。印章業界の利権を代表し、印章制度の存続を訴える自民党の議員連盟だが、彼らがハンコの必要性を訴えるものだから、なかなかハンコ文化がなくなってくれない。
こうした細かいところに日本社会の硬直性が散見されるわけだが、タイの企業は実に柔軟性に富んでいる。先日、バンコクに暮らす小学校の同級生と会った。彼女は某世界的ビールメーカーの日本向けシステム管理の仕事に、タイ企業に所属する形で外注先として携わっているのだが、この仕事に就くまでの経緯が面白かった。
もともとタイ現地の日系企業向けのシステム管理をやっていたのだが、あるとき追加業務を振られた。EUの某国企業のシステム管理である。その企業(ビール会社)が日本での販売提携先から契約解除されたため、受注先や在庫管理に関するシステムを失ってしまい、新たな仕組みが必要になったのだ。
そこでビール会社は、まずEUの企業にシステム構築を依頼。その依頼を受けた企業は、日本の企業でなく、タイの企業に実務を発注したのである。そこで白羽の矢が立ったのが、私の同級生だ。すでに外注先としてシステム管理の実績があり、日本語も喋れるという点が評価されたらしい。
「日本企業に頼むより費用が多少安いから、ということもあるだろうけど、タイ企業に依頼する方が工数もすくなく、『会議のための会議』などもないのでプロジェクトを進めやすいーーそうEUのクライアント企業が踏んだのでは」と彼女は考察していた。
そして彼女は、こう続けた。「日本人は英語ができないので、欧米諸国の組織がアジア圏でビジネスパートナーを選ぶにあたり、東南アジアの企業がよく選ばれるようになっている。私の場合、幸いなことに英語も日本語も話せて、タイ語もそれなりに使えるから、仕事があるのだと思う。日本人は本気で英語力を改善させないと、欧米企業からの発注を東南アジアにほとんど取られるのではないか」
~以下、(次号):「子どもや若者に冷淡で、高齢者ばかり優遇する日本」に継続アップ~
(記事出典:中川淳一朗 氏(ライター) / PRESIDENT 2024//03/12)
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『タイの長滞在で感じた日本の「衰退」』ー③
http://gewerbe.exblog.jp/242112374/
2024-03-16T09:24:00+09:00
2024-03-16T09:24:03+09:00
2024-03-16T09:24:03+09:00
Gewerbe
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『日本そのものが「ソフト老害」になっている...タイ長期滞在で痛感した「貧乏で老人ばかりの国・日本」の衰退ぶり』
~(前号)からの継続アップ~
◆若さや勢いに溢れる国と、老人ばかりの衰退国
タイにはもう、日本の背中が見えているのだろうな......と思わずにはいられないわけだが、特筆すべきは両国の年齢中央値である。アメリカの中央情報局(CIA)が発表した2023年のデータでは、年齢の中央値は日本が世界3位で49.5歳と高齢。一方、タイは53位で41歳。2024年は団塊ジュニアが50歳を超えているだけに、中央値はさらに上昇することだろう。
この約10歳の差はデカい。日本の団塊ジュニアが70歳を迎える約20年後、さすがにタイの農村部といった地方部はさておき、都市部の労働者の給料水準は日本を追い越している可能性もあるだろう。これから成熟していこうとする国と、老人ばかりが増えていく高齢国で競争するのは、何事も困難なものだ。
しかも、日本はさまざまな分野で業界団体の思惑が絡んだガッチガチの規制が存在するため、今後の成長も期待できない。その象徴がタクシー業界だ。海外にかなり後れを取っていたライドシェアの導入議論がようやく進み、2024年4月に日本でも解禁される運びだが、議論の過程においてタクシー業界は既得権を守りたいのか、あれこれと反発。結局、タクシー会社の管理下で運営され、値段もタクシー並みとなる。インバウンドの増加などでタクシーが足りない状態ながら、なんとも中途半端な決定である。
◆不合理な規制のないタイはライドシェアでも日本の先をいく
タイにはこんな不合理な規制はない。その象徴は2012年にマレーシアで誕生した配車アプリ「Grab(グラブ)」である。1982年生まれの若き経営者、アンソニー・タン氏が開発したこのアプリは東南アジアを圧巻。極めて便利なサービスだし、利用者(運転手と乗客)にとってメリットしかない。個人とタクシー会社の両方が「Grab」に参画しているが、個人にとっては本業・副業のどちらでも活用可能で、タクシー会社にしてもさらなる顧客獲得につながる。
乗客からすると、悪評高いタイのタクシーに乗らずにに済むのも利点だ。タイのタクシーはとにかく面倒くさい。停車したタクシーの助手席の窓を開けてもらって行先を伝え、運転手の提示した金額に納得すれば交渉成立。あるいは止まった車に乗り込んで行先を伝え、相手が言い値をふっかけてきても「メーター、メーター」と強く主張し、確実にメーターを稼働させないと正規料金で乗ることもままならに。しかし「それじゃダメだ!」とドライバーから言い返されたり、わざと遠回りされたりすることも少なくない。そもそも道をしらなかったり、後になって交渉金額を覆したりと、信用にならない運転手も残念ながら多い。
その点「Grab」であれば、道はスマホ画面に表示されるし、相手も行先がわかったうえで申請を承認しているので確実性は高い。料金は「Grab」のアプリで事前に決めた額がクレジットカードで決済される。メーター料金より少々割高なものの、余計なストレスがないというのは大きな利点で、金額の負担感を補って余りあるほど快適に移動できる。
~以下、(次号):「タイで働く幼馴染の話か浮かび上がる日本の硬直性」に継続アップ~
(記事出典:中川淳一朗 氏(ライター)/ PRESIDENT 2024/03/12)
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『タイの長期滞在で感じた日本の「衰退」』ー②
http://gewerbe.exblog.jp/242111673/
2024-03-15T06:45:00+09:00
2024-03-15T06:45:38+09:00
2024-03-15T06:45:38+09:00
Gewerbe
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『日本そのものが「ソフト老害」いなっている...タイ長期滞在で痛感した「貧乏で老人ばかりの国・日本」の衰退ぶり』ー②
~(前号)からの継続アップ~
◆タイの物価は確実に上昇している
私(中川)は2023年と2024年の2年間連続でタイに長期滞在したが、物価は確実に上がっている。去年、アイリッシュパブでタイガービール(シンガポール)の1パイントを頼むと、ハッピーアワーは90バーツだったが、今年は110バーツに値上がりしていた。
食事にしても、サービス料が取られるような店で一人当たりビール2本ほど飲むと、2人分の支払いが6000~8000円になるなんて当たり前。これでは日本とあまり変わらない。ホテルの料金も10%ほどは上がった印象だ。
寺などの観光施設の料金も高騰が激しい。根釈迦で知られるワット・ポーの拝観料は2006年ごろは100バーツだったが、昨年には200バーツに上がっていた。さらに2024年1月1日からは300バーツになった。ちなみにタイ人は無料である。
また「暁の寺』としても知られるワットアルンについては、チャオプラヤー川を渡るための船代がかつて2バーツ」だったところ、4バーツ、5バーツと値上がりが続き、先日訪れた際には10バーツになっていた。加えて、以前はワットアルン近くに行くだけなら入場無料だったのだが、現在は船から降りる時に一律で100バーツを徴収されるようになっている。
◆バンコクのOLは20年前の日本で見かけたような雰囲気
こうした金を欧米人は抵抗なく支払っている。だが、もともとタイを含めた東南アジアを「物価がとにかく安く、気軽に楽しめる国々」と捉え、最大の魅力はリーズナブルさだと思っていた日本人からすると、もはや高級な旅行先である。
寺の拝観料が「タイ人は無料/外国人は有料」といった差だけでなく、「タイ人が中心の飲食店」と「外国人も多い飲食店」などでも激しい価格差が」目に付くようになった。
そして、若干の敗北感すらおぼえてしまうのが、昨今や今年のタイ滞在で透けて見えてきたタイ人のフトコロ事情だ。明らかにタイ人の懐も潤っていると、日々感じていた。たとえば、オフィスビルに入っているスターバックスをはじめとしたコーヒーチェーンで、フラペチーノなどを平然と買う20~30代のOLの姿を頻繁に目にする。そうしたドリンク類は500~800円ほどで、モノによっては日本よりも高い。
現状、タイの給与水準は日本よりも低いのだが、人々の暮らしぶりや街が放つ雰囲気は活気に満ち溢れている。人々は海外ハイブランドの商品を手にするのがステータスと感じているのか、それらを抱えてエレベーターに乗り,オフィスに入って行く。
2000年代前半あたりによく見かけた日本のOLのような気合の入れ方というか、仕事もプライベートもスマートにこなす、トレンディなワーキングウーマン的世界観がタイのOLたちにも広まっている。夜になれば、ビール1杯1000円するような高級店にも彼女たちは臆することなく入店し、仲間とディナーを楽しむ(それほど酒は飲まないが、料理もそこそこの値段はする)。
~以下、(次号):「若さや勢いに溢れる成長国と、老人ばかりの衰退国」に継続アップ~
(記事出典:中川淳一郎 氏(ライター)/ PRESIDENT 2024/03/12)
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『タイの長期滞在で感じた日本の「衰退」』-①
http://gewerbe.exblog.jp/242111653/
2024-03-15T05:47:00+09:00
2024-03-15T05:55:09+09:00
2024-03-15T05:47:52+09:00
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『日本そのものが「ソフト老害」になっている...タイ長期滞在で痛感した「貧乏で老人ばかりの国・日本」の衰退ぶり』-①
◆タイの長期滞在で感じた日本の「衰退」
(ライターで編集者の中川淳一郎氏);昨年に続き、今年も2月から3月初旬にかけてタイに長期滞在した。その間に人口約1億2500万人の日本が「2023年のドル建て名目GDPが人口8200万人のドイツに抜かれ、世界第4位に後退」という報道を目にした。また、昨年末に報道されたところによると、2022年、日本の1人当たりの名目GDPはOECDに加盟する38ヶ国中21位で、G7ではイタリアを下回る最下位だったという。
見事なまでの衰退っぷりだ、タイで過ごしてみるとそれが肌感覚でもわかってくる。なにしろ主要な繁華街で、日本人観光客の姿をとんと見かけなかったのだから。
2000年代、タイでは日本人の旅行者が数多く見受けられた。とくに若者が多かった。当時、私(中川)は編集を担当していた雑誌「テレビブロス」で「ワールドカップはタイで見よう!」というテーマの特集記事を作ったのだが、そのくらい若者のタイ旅行者需要は高かったのだ。
私(中川)がタイを始めて訪れたのは2000年のこと。すぐに魅了された時間を見つけては出向くようになり、たまたま開催時間が重なった2002年のFIFAワールドカップ日韓大会は、バンコクのバーで観戦した。これがたまらなくよかった。タイに来ていた世界中の人々と一緒に、店のテレビで熱狂的に観戦するスタイルがすっかり気に入ってしまい、2006年大会ではその観戦スタイルを日本の読者に提案したかったのだ。
◆20年ほど前のタイの物価事情
当時、「テレビブロス」は一冊210円だったと記憶している。読者は基本的に、個性的な連載人やユニークな特集企画を目当てにしたサブカル好き、もしくは新聞を取る余裕がないので「ひとまずテレビ欄だけ欲しい」といった人々が中心だった。「BRUTUS」や「Pen」、「25ans」といったお金に余裕のある人が読む雑誌とは性質が違うにもかかわらず、私(中川)は「テレビブロス」の読者に向けて、タイ旅行とタイで楽しむサッカー観戦という提案をしたのだった。
別の言い方をするなら、当時の日本人であれば、タイに1週間程度は余裕で滞在できたのである。その頃、タイの通貨・バーツは1バーツ3円台の前半(現在は約4円)で、街角の食堂でタイ米におかずをかけたものは25バーツだった。ラーメンも25~30バーツ(75円~90円)ほど、私(中川)が宿泊していたホテルは、世界中のヒッピー的な人々が集うカオサンロード近くに立地しており、ツインルームで一泊300バーツ(900円)。友人と2人で泊まったため、一人500円以下であっる。もちろん高級ホテルや洒落たレストランもあったが、そうした施設を選ばなければ、相当安価に滞在を楽しめた。
~以下、(次号):「タイの物価は確実に上昇している」に継続アップ~
(記事出典:中川淳一郎 氏(ライター・編集者)/ PRESIDENT 2024/03/12)
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『「昔ながらの特産品がなくなってしまう」...伝統産業(現場から、)』
http://gewerbe.exblog.jp/242111527/
2024-03-14T21:45:00+09:00
2024-03-14T22:30:27+09:00
2024-03-14T21:45:43+09:00
Gewerbe
未分類
『「昔からの特産品がなくなってしまう」水かけ菜、干物がピンチ、新たな営業許可まで残り3ヵ月...伝統産業を構成に【現場から、】』
富士山の湧水で育てる水かけ菜や沼津の特産品の干物など、静岡県が誇る伝統的な産業がいま、ピンチを迎えています。ある許可を取っていない業者は、あと3ヵ月で営業ができなくなってしまいます。 ~by SBS(静岡放送)~
静岡県御殿場市で今、旬を迎えているのが”水かけ菜”です。富士山の湧水で育てる水かけ菜は、御殿場市と小山町の特産品でシャキシャキとした食感とほのかな苦みの漬物は地元で親しまれる郷土料理です。
〈鈴木平作さん〉
「漬物にするのは、いつもこの部屋でやっています」
Q.この部屋じゃないといけない?
「いままではどこでもよかったんですけど、今年の6月以降は、保健所の営業許可を取らない部屋でではできないことになった」
特定の場所以外では、水かけ菜を漬物にできなくなった理由は、飲食による健康被害を防ぐための法律「食品衛生法」が2018年に改正され、2048年5月までに基準に合った施設に変更しないと営業できなくなった為です。
今回の改正によって、新たに漬物や水産製品、卵から殻を取り除いた液卵の製造には営業居が必要になりました。許可を得るには、専用の加工場を作ったり、手洗場を設備内に設置するなど様々な条件があります。
〈鈴木さん〉
〈天井がなかった。屋根裏が剥き出しになっていた状態だったが、むき出しの所はすべて塗料を塗らなければダメだということになったので、天井を貼った」。
夫婦で”水かけ菜の漬物”をつくる鈴木さんは、専用の加工場を80万円かけて基準に合うように改修しました。
「昔からやっていたものがそういうことでなくなってしまうのはどうかと思う」
沼津の特産品「干物」も食品衛生法の改正で存続の危機にさらされている地場産業の1つです。
〈東部保健所の職員〉
「この部屋には手を洗う場所はあるんですか?」
〈山中水産 松田執行役員〉
〈さきほどの簡易クリーンルームの水道になっていて、水道はありません。この部屋と、隣の部屋の各所に水道を設ける予定です」。
(記事出典:SBS(静岡放送) 2024/02/22
※ 今回の「食品衛生法改正」は、極めて難しい局面を孕んでいます。”食の安全”に関する、監督官庁としての厚生労働省が、その監督指導としての行政マン責務・立場の”責任転嫁”としてのみ、単純に従来の地場特産品の規制に走るのではなく、各地域に歴史的に継承されてきた特産品=”地域文化・伝統地場特産品”という「地域・歴史・文化」も併せ持った観点で厚労省としての指針を打ち出す職員が出てきてくれるであろう期待を強くのぞむ私(Gewerbe)です...。
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『日本はなぜこんなに歪んでしまったのか...?』
http://gewerbe.exblog.jp/242110292/
2024-03-13T05:00:00+09:00
2024-03-13T05:00:57+09:00
2024-03-13T05:00:57+09:00
Gewerbe
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『日本はなぜこんなに歪んでしまったのか...? 戦後の日米外交の「最大に闇」』
アメリカによる支配はなぜ続くのか? 第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の『戦後』だけがいつまでも続く理由とは?
~by 矢部宏治 著『知ってはいけない 日本の主権はこうして失われた』~
◆「アメリカン・フットボール」対「騎馬戦」
ここに現在、混迷を深める日本の社会と外交を立て直すための、大きなカギが隠されているような気がします。過去の歴史的事実がきちんとわかっていなければ、もちろん現状について分析することも、未来についての対策をたてることもできない。
加えてないよりも、これほど明らかな弱点を持つ交渉相手に対し、アメリカの外交担当者がその弱点を徹底的に分析し、利用してこないはずがないのです。
この核密約をめぐる日米のドタバタ劇を冷静に眺めていくと、アメリカ側が一見困惑した顔をしながらも、日本側の最大の弱点である情報の歴史的断絶状態に付け込んで、自分たちに必要な軍事特権をどんどん奪い取っていった様子がよくわかります。
アメリカの外交を表現する言葉として、よくそれは「アメリカン・フットボール型」だと言われることがあります。
つまりフィールドの上には多くのプレーヤーがいて、フォーメンションに従って陣形を組んでいる。さらにバックヤードには戦況を分析する多くのスタッフがいて、過去のデータに基づいて作戦を立て、次の「最善の一手」を無線で指示してくる。
事実、重要な外交交渉の前には、驚くほどの緻密な調査レポートがいくつも作成されています。
一方、日本の外交はと言えば、非常に残念ですが記録を読むかぎり、それは「騎馬戦型」だと言わざるをえないのです。
もちろん個人の能力としては非常に優秀な人たちなのでしょうが、常にトップの方のほんの3~4人だけが騎馬を組んで闘う。高度な情報はすべて彼ら数名が独占し、その他にスタッフたちとも共有せず、密室で作業する。
けれど過去の性格なデータは、同じく数人が独占する「情報断絶状態」にあったため、きちんと収集・分析することができないし、また彼ら自身も後に伝えない。
それでは、厳しい交渉に勝てるはずがないのです。
ジョン・F・ダレス国務長官やマッカーサー駐日大使など、日本の交渉相手だったアメリカの再興の外交官たちは、アメリカン・フットボールというよりも、むしろそのモデルとなった「戦争」そのものとまったく同じ感覚で、相手国を分析し、作戦を立てています。
その彼らに対して、正確な地図も過去のデータも、後方支援部隊との通信手段も、何も持たずに立ち向かっていっても百戦百敗になるのは当たり前の話なのです。
~以下、(次号):「”日米同盟の御神体”」に継続アップ~
(記事出典:矢部宏治 氏 / 現代ビジネス 2024/02/26)
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『資本主義の時代は終わったのか...?』
http://gewerbe.exblog.jp/242109718/
2024-03-12T09:32:00+09:00
2024-03-12T11:36:07+09:00
2024-03-12T09:32:53+09:00
Gewerbe
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『資本主義の時代は終わったのか~世界経済は、格差が固定される「中世』に逆戻りする?』
~資本主義と民主主義を拡大する流れで発展してきた国際社会だが、現在は各国でこれに逆行する出来事が相次いでいる~ (by 加谷珪一 氏)
このところ、資本主義や民主主義といった、いわゆる近代的システムがうまく機能しなくなっていると懸念する声をよく耳にする。長期的な時代の変化というのは、後になってみなければ分からないものであり、短期的に結論を下すことは避けたほうがよい。
だが、近代的枠組みが大きく揺らいでいるのは間違いなく、そうした視点での議論も必要となってくるだろう。
過去100年の国際社会は、近代国家の枠組みを軸に資本主義と民主主義を拡大する流れで発展してきた。国ごとに程度の違いはあるにせよ、大きな方向性としては効率のいいグローバル市場の追求と、世界共通の理念として人権を担保する方向性が模索されたあ。だが近年、一連の流れと逆行する出来事が相次いでいる。
欧米社会とは基本的価値観が異なる中国が覇権国として台頭し、ロシアは戦後社会では禁止されていたはずの侵略戦争をあっけなく実施してしまった。中東各国も目覚ましい発展を示しており、民主国家と異なる価値観を持つ国が相対的に大きな力を持つようになってきた。
一方、西側諸国内部の変化も大きい。アメリカは長く国提としてきた自由貿易主義を自ら放棄しつつあり、建国当初を彷彿とさせる自国中心主義、保護貿易主義に向けて動き始めたように見える。
◆政治がまともに機能しなくなって久しい日本
同時並行で機能不全も顕在化しており、政府の権威は相当程度まで落ちたとみてよい。今回のアメリカ大統領選挙はかつてないほどの社会分断が露呈する状況となっており、誰が大統領になっても社会の混乱は不可避といえるだろう。
日本はある意味で各国より先行しており、政治がまともに機能しなくなって既に久しい。一連の機能不全の根底には、多くの国民が、このまま資本主義の運営を続けていても、これ以上、豊かになれないと感じ始めている現実がある。
一連の出来事から多くの知識人が、今後の国際社会は民主主義の後退と分断が進むのではないかと考え始めている。社会の分断化が進めば貿易が停滞し、人の往来や知見の共有も制限されるため、分断はますます顕著となる。このまま国際社会の混乱が続いた場合、数百年かけて築いてきた近代的システムが瓦解し、中世の時代に逆戻りする可能性すら囁かれている状況だ。
◆格差が固定された世界へ
中世の時代には統一した権力が存在せず、あちこちに小さな権力と暴力が分散していた。ミクロのレベルで悲惨な事案が多発する一方、社会全体としては大きな変化がなく安定していたのが特徴である。
前近代的社会においては、市場が分断化されてコストが増加するため、モノの値段が高くなる。供給に制限が加わるので経済活動も停滞。市場拡大が見込めないため金融システムが発達せず金利も高く推移する。
多くの人にとって機会が奪われる一方、土地や事業資産、あるいは金融資産を所有している人は、そこから一定の利子や配当を得ることができるので、「持てる」人たちにとっては以外と居心地がよい。つまり世界全体が前近代化していくと、社会の再分配機能が低下し、結果として階層間の移動も起こりにくくなる。
このままの状態を放置すれば、こうした未来への蓋然性は確実に高まってくるだろう。変化への対応は目に見えてでは遅く、手を打つなら今しかない...。
(記事出典:加谷珪一 氏(経済評論家)/ Newsweek 2024/03/07)
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『ラーメン一杯3000円! 外国人がもたらす「富」に沸く日本...』
http://gewerbe.exblog.jp/242108936/
2024-03-11T08:56:00+09:00
2024-03-11T09:04:08+09:00
2024-03-11T08:56:21+09:00
Gewerbe
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『ラーメン一杯3000円! 外国人がもたらす「富」に沸く日本...このまま「先進国」としての成長を諦めるのか』
~「外国人バブル」という認識は間違い。彼らにとって普通の経済活動が、「安い国」日本では過剰消費に見える状況をどう考えるか ~ by 加谷珪一 氏(経済評論家)~
外国人スキーヤーが押し寄せる北海道のニセコや台湾TSMCが工場を建設した熊本、中国人投資家が不動産を高値で購入する東京など、外国人による消費や投資で「バブル」が起こっていると報道されている。
だが、これらの動きはバブルではなく、豊かな外国人が日本で安い買い物をしているに過ぎない。
◆日本だけが給料が上がらない謎...その原因をはっきりと示す4つのポイント
日本社会が貧しくなった現実については、多くの人が頭では理解できるようになってきたが、皮膚感覚としてはまだまだであり、外国人によるごく普通の経済活動がバブル的な過剰消費に見えてしまっている。
ニセコは、以前から外国人スキーヤーにとって聖地となっており、訪日外国人を目当てにした宿泊施設やマンション建設が相次いでいる。所得水準が高い外国人が主な客層なので、サービス価格も上昇している。ニセコではラーメン一杯3000円台というケースもあるなど、あたかも物価の高い外国のような状況といえる。当然のことながら、そこで働く日本人の賃金も他地域に比べれば大幅に高い。
台湾TSMCが工場を建設した熊本でも周辺地域が活況を呈している。TSMCが日本人向けに提示した賃金は他の日本企業より圧倒的に高く、台湾本国から多くの社員が来日していることもあり、彼らを目当てにした飲食店などが多数、店を出している。需要に対して人員が少ないため、各店舗の時給もうなぎ上りである。
◆日本社会が貧しくなり、外国人にとって割安に
こうした状況について日本のメディアは総じて「バブル=(令和バブル前夜)」と報じているが、バブルというキーワードについて、実態を伴わない景気という意味で使っているのなら、これらは決して”バブル”ではない。単に日本社会がまずしくなり、日本の物価水準が低く、外国人から見れば割安になっているだけの話である。
都心の不動産を中国人が買いあさり、価格が吊り上がっているという話もまことしなやかに報道されているが、実態は異なる。他の先進国はあまりにも不動産価格が高いので、資金力の乏しい外国人投資家が、しかたなく割安な日本の不動産を買っているという面が強い。
残念なことだが、これが日本経済の実力であり、私たちはこの現実を受け入れる必要がある。
タイなど東南アジア各国は、外国人観光客や居住者を積極的に受け入れることを成長エンジンの1つとしており、こうした国々では、外国人が行く店と自国民が行く店では、値段が2倍から3倍以上違うのは当たり前である。当然のことながら外国人が行く店であれば、同じような商品を提供しても2倍以上の稼ぎが得られるので従業員の賃金も高くなり、これが国民の所得向上に寄与している。
◆日本が目指すべき成長の道筋は?
筆者(加谷)は本来、日本という国はテクノロジ―を基軸とした先進国であり、物価の安さを武器に外国の富を取り込む成長は目指すべきではないと考える。だが先進国が先進国として成長を続けるには、最先端の研究開発や教育投資を継続するなど、絶え間ない競争や努力が求められる。
今の日本人は、無意識的あるいは消極的に、こうした変革や努力を忌避する選択を行っており。経済水準が低下していくのは当然の帰結といえるだろう。
過烈な競争や改革を望まないのであれば、貧しくなった現実を受け入れ、外国人の富をもっと体系的に取り込み、これを持続的な成長に結びつける工夫が求められる。
(記事出典:加谷珪一 氏(経済評論家) / Newsweek 2024/02/29)
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『新興国、「ドル離れ」模索 人民元なお力不足』
http://gewerbe.exblog.jp/242108185/
2024-03-10T05:16:00+09:00
2024-03-10T05:16:15+09:00
2024-03-10T05:16:15+09:00
Gewerbe
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『新興国、「ドル離れ」模索 人民元なお力不足』
ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、新興国の間で「ドル離れ】を模索する動きが出ている。
米国は制裁を通じ、基軸通貨ドルを中心とする国際金融システムからロシアを排除。ドルの「武器化」への警戒が高まった。しかし、(米国に次ぐGDP世界第2位の)中国の人民元は国際通貨としてまだ力不足で、ドルを頂点とする「ヒエラルキー」(=ピラミッド階層支配)は当面揺るぎそうにない。
「新興5ヵ国(BRICS)首脳は、自国通貨や決済手段などの問題の検討を財務相・中央銀行総裁に課すことで合意した」。南アフリカのラマポーザ大統領は昨年8月、同国で開催された中国やロシアなどが参加したBRICS首脳会議後の記者会見で、新たな金融秩序構築に意欲を示した。
こうした中、中国は人民元の流動性を供給する通貨スワップ協定の締結を40ヶ国地域に拡大し、着々と人民元の国際化への布石を打つ。
経済危機に見舞われ、ドル不足に陥ったアルゼンチンは昨年、協定を通じて供給された人民元を、国際通貨基金(IMF)融資の返済などに充てた。中国と途上国の貿易決済でも、人民元が使われるケースが徐々に増えている。
一方、世界の外貨準備で中国人民元の割合は2%台と、豪ドルやカナダ・ドルと同程度で、60%弱の米ドルに及ばない。英シンクタンク[OMFIF]の2023年の中央銀行当局者調査では、外貨準備の多様化で人民元は受け皿の一つだが、10年後の割合は0%にとどまると予想された。
当局者の回答の75%は「透明性(欠如)が中国への投資で最大の阻害要因」に挙げた。米国の経済競争力や市場の開放性がドルを支えており、アデエモ米財務副長官は23日の講演で「米国への投資が続く限り、米ドルの金融システムは支配的であり続ける」と強調した。
(記事出典):JIJI.COM (時事通信) 2024/02/25)
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『ネガティブな文脈で語られがちな「80年代バブル景気」への誤解』
http://gewerbe.exblog.jp/242107574/
2024-03-09T08:31:00+09:00
2024-03-09T10:49:14+09:00
2024-03-09T08:31:28+09:00
Gewerbe
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『ネガティブな文脈で語られがちな「80年代バブル景気」への誤解、「反省への気運」の行き過ぎが科学技術の発展に影を落とす”負の側面”も』
日経平均株価の高騰が続き、業績を拡大する企業も増加し、さながら「令和バブル前夜」の様相を呈している。バブル期の1989年に記録した、日系平均株価の最高値3万8915円を超え、かつてのバブル期を「札束に踊らされた空虚な時代」と批判する声も多い。
「失われた30年」など、ネガティブな文脈で語られるバブル景気について、元大蔵官僚で嘉悦大学教授の高橋洋一氏は「誤解が多い」と指摘する。
「当時は物価がどんどん上がりインフレが続いていたと思っている人がいますが、それは誤りです。物価が上がっていたのは株や土地などの一部の資産価格だけでした。バブル期のマクロ経済指標に異常は見当たりません」。実際、1987年~1990年までの実質GDP成長率は2~6.2%で、当時の先進国の水準としてはごく平均的だった。同期間の物価上昇率も0.1~3.1%と健全な上昇の範囲内である。
「問題だったのは、証券会社がこぞって販売した財テク向けの金融商品「営業持金」(運用を証券会社に一任する代わりに利回りや保証や損失補填が付く契約)が横行し、株式市場に巨額の資金が流れ込んだこと、1989年12月26日、大蔵省(当時)証券会社に通達を出し、「営業持金」を事実上禁止しました。通達を起案したのは当時証券局にいた私(高橋)です。その結果、1989年の大納会で最高値をつけた株価は1990年末に2万3000円ほどに一気に下がってきました」(高橋)
また不動産に対しても大蔵省は1990年3月に通達を出し、「総量規制」(銀行の不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える措置)を導入。地価も下落していった。
◆「日本のノーベル賞は1980年代の業績によるもの」
バブル崩壊により「バブルの反省・忌避」の気運が高まったが、現在ではそれが行き過ぎ、”負の側面”が生じているというのは、元日銀審議委員で名古屋商科大学ビジネススクール教授・原田 奏氏だ。
「バブル期までは企業も利益があがり新規事業や設備投資、研究開発投資を進めていましたが、バブル前後は多くの企業がそうした取り組みを躊躇するようになった。これにより、科学技術の発展に影が落ちたのです」
例えば、リチウムイオン電池の発明でノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏や、医療用イベルメクチンの開発でノーベル生理学・医学賞を受賞した大村 智氏らの研究は、いずれもバブル期の1980~1990年代の功績によるもの」と発言していました。
「バブル崩壊後、打ち切られた研究が多数あったことを考えると、この30年間に日本が失ったものは大きいと言わざるをえない」(高橋)
(記事出典:高橋洋一 氏(嘉悦大学教授) マネーポストWEB 2024/02/13)
(※)「令和バブル前夜」牽引するのは海外投資家、恩恵を受けるのは富裕層。 庶民に景気回復の実感はなく、「80年代バブルのようにはなりにくい」...。
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