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『日本の造船業界、存亡の危機...”地方の独立系”今治造船が”大手”JMUを救済の異常事態ー➁』
-〈「海賊の末裔」といわれる造船一族・桧垣家〉-
今回の提携は、「地方の独立系」の今治造船と「大手重工系」のJMUという、これまでで交わることのなかった2社が手を結んだことに意味がある。造船不況を象徴する”事件”だ。
JMUの成り立ちを振り返ると、1955年、石川島播磨重工業(現 IHI)と住友重機械工業の艦艇部門が統合して設立された。2002年、石播の海洋船舶部門が統合し、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドに称号変更した。同年、日本鋼管(現 JFEホールディング)と日立造船の船舶部門が統合してユニバーサル造船が発足した。2013年1月、ユニバーサル造船を存続会社としてアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドを吸収合併し、現在のJMUが誕生した。
今治造船は非上場のオーナー企業ゆえに、その実態はほとんど知られていない。オーナーの桧垣家は”謎の造船一族”と呼ばれている。今治造船のほか、グループ・関連会社・取引先など桧垣一族の総数は100人なんなんとする。
愛媛県には桧垣家と並ぶオーナー企業、大王製紙の井川家があった。井川家は創業家井川家の3代目がバカラ賭博に狂い、創業本家は経営の第一線から身を引いたが、大王製紙が井川家の一族郎党を養っている構図は変わらない。
桧垣家は織田信長の安土桃山時代に瀬戸内を支配した村上水軍・来島家の家臣団がルーツと言われている。だから、「海賊の末裔」と呼ばれるのだ。
1901(明治34)年、桧垣為治が今治市内に桧垣造船所を創業したことに始まる。太平洋戦争の戦時下の国家統制で地元造船の6社が合併し、今治造船が生まれた。戦後、今治造船は仕事がなく、従業員も解散。現場監督を務めていた為治の次男の正一は、息子(長男)の庄司らとともに今治造船を飛び出し自分達の造船所をつくった。その後、船大工の大半を失い休業に追い込まれた今治造船が支援を要請してきたため、正一は資本金30万円をかき集め、古巣に戻った。1959年、正一が今治造船の社長に就任。これ以降、桧垣家がオーナーになった。
~以下、(次号)に継続アップ~
(記事出典:Business Journal 2020/04/15)
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