(貿易ともだち)さん、みんな(がんばるチャン!)してるかな? (4990)
前号アップの「RIEFによる”浸透性農薬世界的総合評価(WIA)」が菅原文太氏を実行委員長とし、養老孟子氏などによって問題定義されたのは、2014年6月でした。「安全で安心な日本食」と、”和食ブーム”が世界的に巻き起こり、「2020年東京五輪」は、日本の農産物や食材を世界に売り込む”絶好の好機”であったはずなのに、なぜ、東京オリンピックまで1年を切った今の時点で、世界から疑問視が発生したのでしょうか、また、5年以上も前から、「日本農業のあり方、食材意識」への課題が提議されてきたのに、改善が成されてこなかったのでしょうか?
そこには、「日本独特な歴史的な背景と国策」があります。
江戸時代の300年を通し、明治維新時の日本の人口は3,000万人でした。それが、その後のわずか150年の間に2度の大戦を挟んで多くの戦死者を発生させたのにも関わらず、”4倍の1憶2千万人強の人口”に膨れ上がっているのです。
明治維新後は、西欧列強を目指し近代産業化を強烈に推し進め、次々と工業を興し、必要な人材を確保するために”産めよ増やせよ!”の人口増加を国策としてとってきました。当然ながら、耕作地の限られた農地(単一耕作地での単一作物の経年栽培)で、それまでの4倍の国民を養う農作物を収穫するには、「大量の肥料施肥と、病害虫防除に対する農薬散布」が避けられませんでした。見方によれば、「大量の化学肥料と病害虫薬剤散布が、戦後の日本の食料需要を支えてきた賜物」とも言うことができます。大量の肥料と農薬なしには戦後の食料増産は不可能でした。その代償として、戦後70年間の「肥料と農薬の大量施肥・大量散布」により、日本の耕作土壌と河川は”薬漬け”となってしまっています。
今一つの”歴史的背景”として、肥料や農薬は「化学工業」です。太平洋戦争終了で、戦争中に大量の爆薬等を生産してきた企業を戦後の復興に向けて、企業を維持し拡大させねばなりませんでした。実は、砲弾の火薬と肥料はアンモニアや硝酸を原料とするまったく同じ原材料であり製造工程です(肥料からは簡単に爆弾が作れます)。この戦後の化学メーカー育成と、食糧難の農産物増産が完全に一致し、我が国の場合は、国策として「大量施肥、及び、農薬散布による病害虫防除」の農業のあり方が一般化してしまい、いち早く欧州において発生した「地球環境保全=持続可能社会(サステナブル)」への意識が立ち遅れ(空白)となってしまいました。
これらの「日本独自の農産物・食品への対応意識」を2020東京五輪への参加するメダリスト達が開催中に提供される食材基準に”No!”を突き付けてきたのです。彼/彼女達の声が、東京五輪をきっかけとして、”和食ブーム”、”安全・安心の日本食”への疑問視が世界に広がることを心配しています・・。前回の東京オリンピックの時とは、参加選手、世界の消費者の地球環境に対する意識が「2020東京五輪提供食材基準」を通して大きく変化していることを、強く認識すべきです。
農水省は、どう説明し、どうのような対応を残された期間で解決するのでしょう。全ての東京五輪食材をEPA(経済連携協定)が、この金曜日から発効するEUから輸入して提供するつもりでもあるのでしょうか~・・?
blog up by Gewerbe 「貿易ともだち」 K・佐々木