(貿易ともだち)さん、みんな(がんばるチャン!)してるかな? (4985)
世界64カ国に輸出され、2017年度においての輸出量4,642トン・輸出額144億円と、ウイスキーやビールを超える輸出での毎年過去最高の躍進を続ける「”日本の緑茶”、世界ブーム」の今だからこそ、あえて、「農業の持つ”両刃の剣”」の危険性と世界の消費者意識、政府が意図するEPA(経済連携協定)の拡大を受けての農畜産物の輸出拡大への警鐘として、東京五輪への調達食材基準をきっかけとしてアップを重ねています。
『年配の人が(昔飲んだ煎茶が美味しかった)という本当の理由』
ー1950年以降、10倍以上に増えた窒素肥料の使用量ー
実は950年以前のお茶は、今とまったく異なる方法で栽培されていました。日本のお茶は、高度経済成長と共に大きく変化しました。高度経済成長期はお茶に限らず、野菜や果物の需要が急激に伸び、増産をするための手段として農薬や肥料を使った、いわゆる現代農業が急速に普及しました。
農林水産省が発行しているデータをみると、1950年を境に栽培方法が変化していることが解かります。その中に「茶園地における窒素肥過剰施肥の影響と対策」という項目があります。
1.明治から昭和の初期にかけて肥料は年間10Kg/10aだった。(1aは10mx10m)
2.茶の旨味を追求するあまり、1940年代後半以降、肥料の施肥量が急速に増加を始め、1950年代には120kg/10aに達した。つまり、昭和初期の12倍の使用料。
3.窒素肥料施肥が茶園面積の1/6にあたる畝間に集中して長年投入され、土地劣化と水質汚染をもたらしている。
高度経済成長期には、国内のお茶需要が急激に増加し、お茶の生産量を増やすために、国策として窒素肥料が大量に使われるようになりました。
そうなると当然、お茶の品質も変化します。天然低肥料で作られたお茶特有のコクのある後味と透通るような香りから、あっさり味、アミノ酸特有の香り、まったり感のあるお茶へと変化しました・・。
(記事抜粋:北城 彰 氏ーHOJO)
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