『”日本でなくてもいい” 日系ブラジル人に「総スカン」-②』
(貿易ともだち)さん、みんな(がんばるチャン!)してるかな? (4586)
~前号より続き~
「”日本でなくてもいい” 日系ブラジル人に(総スカン)」
-ほぼ無条件で定住が認められたいた「3世」-
日系3世までは、ほぼ無条件で日本での定住が認められていました。日本語能力の証明もありませんでした。多くの2世や3世の人たちが日本に働きに来た1990年代の日本も、現在と同じように人手が不足していました。
そこで働き手として注目されたのが、ブラジルやペルーなど南米を中心に多く居る日系人の子孫たちでした。当時の南米は政治的に混乱し、経済的にも厳しい国も多く、外国に働きに出たいと考える人は少なくありませんでした。
人手不足の日本と、働きに出たい日系人。両者のニーズが合致したわけです。
外国から人を受け入れるということは、異なる文化や風習を持つ人たちと一緒に暮らすということです。それが大変ということは、簡単に想像できます。
でも、日系人であれば、日本の言葉や文化を理解しているはずだ・・・。日系人の受け入れを認めた日本政府の中には、そんな見方もあったと言います。
しかし、現実は違いました。
2世や3世でも、すでに日本語を話せない人たちがすくなくありませんでした。70年前の第二次世界大戦で、移民した先の国々は日本と敵対。日系人が「敵国民」としてスパイの疑いがかけられたり、強制収容所に入れられたりする国もありました。
日本語での会話や教育が禁じられた影響で、日本語を話す習慣を無くした子供たちもいたのです。
(次号~、「日本語を話さなくなった理由」に継続~)
(記事抜粋:岡田 玄 氏ー朝日新聞サンパウロ支局 2018/07/21)
blog up by Gewerbe 「貿易ともだち」 K・佐々木