(貿易ともだち)さん、みんな(がんばるチャン!)してるかな? (2621)
前号では、『世界のシェイバー(カミソリ)の刃物鋼として、その70%が、日本の島根県にある日立金属・ヤスキ工場による古代の(たたら製鉄法)をヒントにした鉄が使われている』という話題をアップしています。合わせて、(中間産地における、過疎・少子老齢化=労働人口減の中での産業振興)のポイントも話題にしています。
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”大きな弊害”があります。戦後(1946年)以後、太平洋戦争における日本の敗戦国としての復興にかける国策として、大手企業による経済成長を優先し、かつての”日本経済形態の特質とする自立地域経済”をないがしろ、むしろ、それを圧迫し、モノ作りやエネルギー資源創出は特定の企業に特定させる政策をとってきました。
現状においても、全ての過疎・老齢少子化の市町村が元気がないわけでありません。中には”過疎町村”が、商社の力も借りずに独自に欧米に特産品を輸出している町村もあります。それらの過疎町村は、例外なしの、時の政府の反逆児でした。”ありようもない事”=この町を世界に売り込む。電気?-小規模な水力発電所を作って自活する。
(地方交付金の魔力)に負けて、”自活をあきらめた”結果が、現在の過疎・老齢少子化町村の実態と考える私が間違っていますか?
☆そのヒントとして、
『小だたら』をアップします。
古くは全国的に行われていた「たたら製鉄」も、江戸時代の中頃以後は、「大だたら製鉄」が盛んになり、我が国の奥出雲(島根県)が圧倒的な生産量を誇るようになります。
奥出雲では「企業たたら」が確立されましたので、(大だたら製鉄)の生産の様子はきちんと残されていますが、(小だたら)の記録は、ほとんどありません。しかし、実際は全国のあちこちで、小規模な製鉄は行われていたのです。
とかく「たたら製鉄」というと、江戸時代の奥出雲ばかりに目がいきがちですが、古代ー中世ー近世と通して、日本各地の山間地で製鉄は行われて来た跡(遺跡)が残されているのです。
「たたらの本場」である奥出雲では、明治に入ってからでも、農家が冬季の農閑期に(小だたら)=自給製鉄で、わずかな鉄を作り、それを村鍛冶に持っていって、鍬(くわ)などの農具を作ってもらったと言う話が残っています。
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いつの間にか、「市町村行政」は、”自分達には何もできない”、”貿易なぞとは、大企業や商社がやることで、過疎町村とは縁のないこと・・・)との意識が定着してしまっています。
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日本を構成する”駒(コマ)としてのそれぞれの市町村が元気にならなくて、その全体像の日本が元気になりようもありません”と思いませんか?
市町村の長が、その意識を替えた時、過疎・老齢少子化に悩む山間町村が、中小の企業や商社を凌ぐ基礎的資源と力を持つのが中間山間地です!と、感じますけどね・・・。
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自分の任期の間、与党政権の政策に従って、とにかく地方交付金を満額受けて、”それなりに町村運営をこなす”・・これで、”日本を変える!”が実行できますか? 過疎・老齢少子化=町村維持にお金が足りません・・”、政権の言う通りにしますから(交付金を下さい!)・・・・。
by Gewerbe 「貿易ともだち」 K・佐々木